2018年5月1日付にて、「京都中勢以の仕事」と題したコラムを掲載しました。これは、私(加藤 謙一)が、常日頃から「牛、肉、人をつなぐ。」を軸に、お客様やお取引先様、そして私たち従業員自身と向き合う中で、変わることのない「京都中勢以」(に限らない「日本の肉屋」)の普遍的な考えやあり方というものをお伝えしたい、という想いからのコラムでした。
一回では到底書き記すことができないため、このコラムをシリーズ化して「京都中勢以の仕事1」「2」「3」「…」として、書き進めさせていただければ幸いです。
5/1付コラムでは、京都中勢以の仕事は、大きく分けると
1:買い付け
2:熟成
3:捌き
4:販売
の4つに分けられることを述べました。
今回は順序が前後して恐縮ですが、
「3:捌き(カット・スライス)包丁と肉 〜 仕事の理」
について、その理(ことわり)※をお話ししようと思います。
ここでいう「理」とは、食に関わる者として一度は目にする、北大路魯山人の「料理とは、理(ことわり)を料る(はかる)こと」※※に着想の一部があります。ものの道理に合わせる、不自然な無理をしない、という発想に通じることから、ここでは少し特異に映るかもしれませんが、あえて「理」という言葉を用います。
また、本論に入る前に、「3:捌き」を書き進めていくうち、その中にも大きく「哲学(考え方・捉え方)」と「実際(方法・実践)」2つの括りがあることに気がつきました。私が大学・大学院と農学部出身ということもあり、例えるならば、クラスワーク(講義)とフィールドワーク(現場作業)に例えられます。そこで、前者「哲学(≒クラスワーク)」、後者「実際(≒フィールドワーク)」になぞらえ、「3: 捌き(カット・スライス)、3-1. 哲学(考え方・捉え方)」と「3:捌き(カット・スライス)、3-2. 実際(方法・実践)」の2回にコラムを分けて公開したいと思います。
3:捌き(カット・スライス)包丁と肉 〜 仕事の理
3-1. 哲学(考え方・捉え方)
さて、まずはじめに、包丁は「切る道具」であり、その道具を使って肉を切るのが肉屋の仕事の一つです。京都中勢以が肉屋になろうとしている人に肉の切り方を教える時、「包丁に肉を切らせる」とか、「包丁を走らせる」「肉が切られたいように切る」など、包丁を持ち始めた人間にはよくわからない(かもしれない)表現を使いがちです。
包丁の扱いに限らず「見て学び、手で習う。」とはよく言ったもの。京都中勢以の仕事は、上手な人の動きを見て学び、自身で繰り返し訓練をする事で会得する事がほとんどです。とはいえ可能な限り、その仕事の理(ことわり)を伝える事で、意識しながら学び訓練すれば、早く一人前になれるのではないかと考えています。
肉屋の仕事(捌き・スライス)の理の整理をするため、肉屋として肉を切れるようになる過程を下記にまとめました。
1) 包丁の理を知る:
どう包丁を動かせば、どう肉が切れるのか、など。
2) 肉の理を知る:
各部位の形や特徴、切り方によって異なる調理上の変化や味の違い、など。
3) 自身の体の理を知る:
実際に包丁を動かす時の肉と包丁の角度や力加減、重心移動、など。
4) 包丁と肉と体の理を意識し、訓練を重ねる。
5) 意識をしなくても理に合わせて体が動くように訓練する:
4)の訓練を重ねる中で5)になってくるのですが、意識の外で体が動くようになってから改めて意識をして訓練を重ねる。
6) 包丁、肉、体のそれぞれの点の理が線の理へと繋げる:
それぞれの理について己の理解を疑い、考え、新しい発見や知見を求め吸収し、理に落とし込み実践する。
以上6つの過程が、肉屋が肉を切れるようになるまでの流れです。仕事は個々の点の理の積み上げとして線の理となり、全ての線の理が、縦横に交わる事で面の理へとつながっていきます。
それぞれに理に応じた選択があり、その選択が相互に作用した結果としてお肉の美味しさに繋がります。
肉屋にとって、すべての理は、お肉を美味しく食べるための「理」といえます。
次回のコラムでは「3:捌き(カット・スライス)、3-2. 実際(方法・実践)」について述べてみたいと思います。
※ 理(ことわり)とは、国語辞典(出典:デジタル大辞泉(小学館))によれば、《「断り」と同語源》となり、
1)[名]1. 物事の筋道。条理。道理。「彼の言葉は理にかなっている」「盛者 (じょうしゃ) 必衰の理 2. わけ。理由。「いみじう―言はせなどしてゆるして」〈能因本枕・三一九〉
2)[形動ナリ]当然であるさま。もっともであるさま。「いかで都へとたより求めしも―なり」〈奥の細道〉
※※ 参考・出典:日本料理の基礎観念(北大路 魯山人)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001403/files/49990_37893.html